![]() |
大阪渋谷ビール |
ブルーパブ名: | 大阪渋谷麦酒 直売所 | |
電話番号: | 080-3832-2083 | |
住所: | 大阪府藤井寺市岡1丁目2-6 | |
定休日: | 月曜休 | |
営業時間: | 11:00~18:00 | |
ビールの種類: | 河内乃えーるヴァイツェン (ヴァイツェン) 河内乃えーるピルスナー (ピルスナー) 河内乃えーるペールエール (ペールエール) 河内乃えーるスタウト (スタウト) ハレマチフジイデラコラボ 金ガフ (ピルスナー) ハレマチフジイデラコラボ 黒ガフ (スタウト) ほうじ茶えーる (オリジナルエール) 河内乃えーるあいぴーえー (インディア ペールエール) 天満天神えーる (ダークエール) |
|
醸造開始: | 2022年5月15日 | |
アクセス: | 近畿日本鉄道 南大阪線/藤井寺駅から徒歩6分 | |
URL: | https://www.shibutanibrewing.com/home | |
instagram: | 大阪渋谷麦酒 | |
製造元: | 大阪渋谷麦酒 | |
電話番号: | 080-3832-2083 | |
住所: | 大阪府藤井寺市岡1丁目2番6号 |
大阪渋谷(おおさかしぶたに)ビールは、2022年より大阪府藤井寺市で造られているビールです。 大阪渋谷ビールの故郷である藤井寺市(ふじいでらし)は、大阪府の東部、南河内地域北部に位置する都市で、 大阪市から南東へ15Kmほどのところにあることからベッドタウンとして発展し、 市内にある大小の古墳が密集する古市古墳群や、 西国三十三所第5番札所の葛井寺(ふじいでら)などで広く知られるところです。 そんな藤井寺市の市役所のすぐ脇に大阪渋谷ビールを醸造する大阪渋谷麦酒(おおさかしぶたにばくしゅ)があります。 店内は、醸造所と直売所のカウンターになっており、その場で瓶ビールを購入できます。 また大阪渋谷ビールは、大阪の特産物として「大阪産」(おおさかもん)にも登録されています。
大阪渋谷麦酒では、原材料にドイツ産の麦芽とアメリカ産、チェコ産のホップを使用し、
淀川水系を源とする地元 藤井寺の水を仕込み水として使用して醸造しています。
ヴァイツェン、ピルスナー、ペールエール、スタウトの4種類が定番ビールで、
その他、南河内の特産品を副原料として使った南河内の風土に合った限定醸造ビールも製造しています。
また、大阪府南河内郡太子町の特産品である温州みかんの摘果ピールを全てのビールに使用しています。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
ヴァイツェン |
ピルスナー |
ペールエール |
スタウト |
![]() |
![]() |
||
金ガフ |
黒ガフ |
みなさんは、澁谷 庄三郎(しぶたにしょうざぶろう)という人物をご存知でしょうか?
今から150年程前、1872年(明治5年)に日本人として初めてビールを醸造したとして歴史に名を残した人物です。
この庄三郎さんは、摂津国桜井谷(現在の大阪府豊中市)の旧家三代目の次男として1821年に生まれました。
その後、大阪・天満で綿卸商(綿問屋)「桜井屋」を営む傍らで、大阪開商社という会社にも出資をしていました。
大阪開商社は、大阪府管轄の官製組織で、貿易や工業、商社など様々な事業を展開しており、
庄三郎さんは「頭取並」という役職に就いて綿産業を担当していました。
その大阪開商社では、1871年頃より工業部の新規事業としてビール醸造計画が持ち上がっており、
アメリカ合衆国からビールの醸造技術者を招聘したりと本格的に取り組もうとしていましたが、結局計画は中断してしまいます。
そこで庄三郎さんは、生家が綿卸商の他に酒造業も兼業していたこともあって醸造に興味を抱いていており、
大阪開商社の他の頭取たちの勧めもあり、私財を賭けて個人でビール醸造計画を引き継ぐことにしました。
庄三郎さんは、1872年3月から大阪市内の堂島に所有していた土地を利用して、
蔵を改装し日本人が建てた最初のビール醸造所となる「SHIBUTANI. BREWERY」を建設しました。
そして、大阪開商社が米国から招いていたビール醸造技師のヒクナッツ フルスト氏から技術指導を受けて醸造を開始し、
遂にその年に「渋谷ビール」の販売に漕ぎ付けました。
ラベルは、すべてローマ字と英語表記で、上部には犬のマークが描かれていました。
1869年に横浜のスプリング・バレー・ブルワリーでウィリアム コープランドにより、
初めて商用のビール醸造が開始されてから3年後のことで、日本人としては初の商用ビール醸造でした。
ところが、当時、ビール特有の苦みが大衆には受け入れられず、
主に中之島周辺の居留地にいた訪日外国人や料亭などに販売していましたが、その経営はあまり振るわなかったようです。
そして、9年後の1881年(明治14年)5月2日に庄三郎さんが亡くなると、渋谷ビールの醸造や販売は終了し、
堂島の醸造所も同年に閉鎖されました。恐らくその頃の日本にとって、ビール事業は時期尚早だったのかもしれません。
現在、跡地には「国産ビール発祥の地」と記された碑が建てられています。
そうして舞台は時空を越え現代へと移ります。
庄三郎さんの子孫にあたる九代目 澁谷 尚彦(しぶたにたかひこ)さんは、
今も大阪・天満で270年余の歴史を誇る家業を守り続けており、
現在の業態は寝具店として「さくらいや」の屋号を守っています。
そして、これからご紹介する現代の「大阪渋谷麦酒」を女手一つで切り盛りしているのが、
この尚彦さんの妻であり、大阪渋谷麦酒の代表を務める 澁谷 香名(しぶたにかな)さんです。
ビール造りを始めようと思った動機を香名さんにお尋ねすると、間髪入れずに『ご先祖様がやっていたから』
という庄三郎さんの意思を受け継いでいることを明らかにする回答が返ってきました。
澁谷 香名さんは、大阪府羽曳野市の出身で、1997年に尚彦さんと結婚。
老舗寝具店の跡取りのもとへ嫁いでみて、その旧家の歴史、そして庄三郎さんの功績を知ることとなりました。
そして、香名さんはいつしか、「いつかは『渋谷ビール』を自分たちの手で復活させたい」という夢を抱くようになります。
香名さんは、これまで主婦の傍ら、医療事務や派遣の仕事などに就いてきており、
資格を取得してからは、フルタイムで医療事務として働いてきました。
そして、結婚から22年の月日が流れ、香名さんに転機が訪れます。
職場での人間関係にわずらわしさを感じるようになり、
以前より心に抱いてきた「ビールをつくってみたい」という思いも強くなったことから、
思い切って自ら『渋谷ビール』への夢を実現とようと決意し、
2019年よりビール醸造を目指して活動を開始することにしました。
同年10月に大阪サニタリーが主催する山田 隆司さんによるクラフトビール講習会へ1週間通ってみました。
醸造に関しては何も分からない状態からのスタートだったことから、
近隣でビール醸造を教えてもらえそうなブルワリーを探したところ、大阪市内の有本麦酒を見つけて、
早速、同年12月に有本麦酒を訪ねました。
そうして香名さんが醸造技術の指南を頼み込むと、快諾してもらうことができ、年が明けた2020年4月から研修に通い始めました。
そして、醸造や設備のことなど一から教わり、研修後も機会ある毎に有本麦酒を訪ねてはアドバイスをもらっています。
また、醸造設備の選定から手配も、有本麦酒に依頼し、費用低減のため石見式の発酵タンクを採用しました。
こうして、藤井寺市役所の敷地に面した路地を入った三差路の角地へ店舗を構えることができ、
2022年3月24日に、酒類等製造免許(発泡酒)を取得。
同年4月2日に、初仕込みに臨み、1stバッチのヴァイツェンが完成すると、
オープンに先駆けて同年5月14日に飲食店に向けたお披露目会を開催。
そして翌15日には、直売所のオープンと共に、大阪渋谷ビールの販売を開始しました。
大阪渋谷ビールのトレードマークには、かつての「渋谷ビール」の犬のマークを継承しており、
瓶のラベルにも可愛らしい犬のイラストがビールの種類毎にあしらわれています。
大阪渋谷麦酒では、廃棄物の再利用にも取り組んでおり、
麦芽粕は大阪府立農芸高校が飼育する牛の飼料として提供し、ホップは紙すきの原材料に、
酵母はパン屋に持ち込んで再利用したり、飲み終わった空き瓶のリユースなど、
それぞれに有効活用を進め環境にやさしいECOなビール製造に努めています。
香名さんに今後の大阪渋谷麦酒についてお尋ねすると、
「いずれ会社(法人化)にしたい。そして、会社を大きくしたい。販路を広げたい。目標は、箕面ビールです。
設備も拡張したいし、そのためには場所の移転も視野にいれている。
とにかく、南河内をビールの力で盛り上げて行きたいし、いっぱい飲んで欲しい」と語ってくれました。
澁谷さんのご厚意により醸造設備を見せてもらいましたので、ご紹介しましょう。
大阪渋谷ビールのこれまでの経緯は、以下の通りです。 | |
2019年 | 大阪渋谷麦酒の準備開始 |
2022年3月24日 | 酒類等製造免許(発泡酒)を取得 |
2022年4月2日 | 初仕込み |
2022年5月15日 | 直売所をオープン 大阪渋谷ビールを販売開始 |
ビアクルーズ管理人の一言:
2022年11月、大阪府藤井寺市にある「大阪渋谷ビール」を訪れて、4種類の定番ビールを購入して、自宅で飲みました。