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銀河高原ビール |
ブルーパブ名: | ![]() |
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電話番号: | 0197-85-5311 | |
住所: | 岩手県和賀郡西和賀町沢内貝沢3-647-1 | |
定休日: | 無休 | |
営業時間: | 18:00~21:00 | |
ビールの種類: | ヴァイツェン 小麦のビール (ヴァイツェン) ペールエール 苦味のピルス (ピルスナー) アメリカンペールエール 白ビール (ベルジャンホワイト) スタウト ピルスナー アルト エクストラペールエール ヴァイツェンボック アメリカンペールエール デュンケルヴァイツェン そよ風のケルシュ (ケルシュ) 椀子麦酒 (ケルシュ) ユキノチカラ白ビール (ヴァイツェン) その他、限定醸造ビール |
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醸造開始: | 1996年4月 | |
アクセス: | JR東北本線、田沢湖線、山田線、東北新幹線、いわて銀河鉄道線/盛岡駅から 岩手県交通バス湯本温泉線で71分、「貝沢」バス停から徒歩約30分 JR北上線/ほっとゆだ駅から岩手県交通バス湯本温泉線で57分、「貝沢」バス停から徒歩約30分 |
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URL: | https://gingakogenbeer.com/ | |
Facebook: | 銀河高原ビール | |
製造元: | ![]() |
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電話番号: | 0197-85-5321 | |
住所: | 岩手県和賀郡西和賀町沢内貝沢3地割647番地1 |
銀河高原ビール(ぎんがこうげんビール)は、
1996年より岩手県西和賀町にある「銀河高原ビール 沢内工場」で製造・販売されてきたビールです。
銀河高原ビールは、もともと岩手県沢内村(さわうちむら、現在は西和賀町)の村興し事業としてスタートしました。
沢内村は、清冽な天然水が豊富な環境にあり、気候がドイツのバイエルン地方に似ているため、
醸造所をつくるのに適した地でした。
岩手に縁のある作家・宮沢賢治の生誕100周年(1996年)を記念して設立されたこともあり、
「銀河高原ビール」というネーミングや、ボトルは銀河をイメージしたブルーを創業当時から使用しています。
設立メンバーは、ヨーロッパやアメリカの各醸造所を視察して歩き、
特にドイツではミュンヘン、ケルン、デュッセルドルフなどを訪れて80種類ものビールを試飲して歩きました。
そして、本場ドイツ・ミュンヘンの「アウグスティナー醸造所」のヴァイツェンを模範として、
ドイツからブラウマイスターを招聘し技術指導を受けると共に、醸造設備もドイツ製のプラントを導入しました。
銀河高原ビールでは、「工業製品」ではなく「自然食品」としてのビール造りを目指しており、
原材料にも麦芽・ホップ・水のみを使用することを定めたドイツの「ドイツ純粋令」に基づいて、
副原料を使用しない「麦芽・ホップ・水」のみを使用した麦芽100%のビールを醸造していました。
銀河高原ビールは、2020年3月を以って沢内工場での製造を終了しました。
銀河高原ビールは、原材料にドイツ産の麦芽と、ドイツ産のマルチファインアロマホップをメインに使用し、 岩手県和賀岳(わがだけ)の雪解け水から研ぎ澄まされた伏流水を汲み上げた清冽な水を仕込み水に使用して醸造する麦芽100%のビールです。
銀河高原ビールでは、「銀河高原ビール」ブランドの他にも
「新宿デパーチャーエール」(東京)、「モーリオビール」、「雫石」、
「麦わらぼうしのビール」などの銘柄でも販売していました。
銀河高原ビールの歴史を振り返ってみましょう。
岩手県の住宅メーカー 東日本ハウス株式会社の創業者 中村 功(なかむらいさお)さんは、
豊かな自然に恵まれながらも過疎化に悩む沢内村の村興し事業として、1996年に銀河高原ビール株式会社を設立しました。
1996年4月にリゾート施設「沢内銀河高原ホテル」をオープンすると共に、
併設の「銀河高原ビール 沢内工場」で醸造する銀河高原ビールの販売を開始しました。
その後、沢内工場の他に栃木県の那須工場、
岐阜県の飛騨高山工場、
熊本県の阿蘇白水工場へ工場を開設、
4拠点の名水の湧く高原で、銀河高原ビールを製造していました。
しかし、地ビールブームの沈静化を受けて、2001年に飛騨高山工場と阿蘇白水工場を閉鎖し、
地元で醸造を担当していた東日本沢内総合開発株式会社からのOEM供給と那須工場との2拠点生産体制となりました。
2001年12月には会社分割により、新たに銀河高原ビール株式会社を設立。
2002年に旧「銀河高原ビール株式会社」を「高原販売株式会社」へ会社名を変更後、営業不振から一旦会社を清算し、
新生・銀河高原ビール株式会社へ営業を引き継ぎます。
その後も黒字化には至らず、2005年12月4日に再び銀河高原ビール株式会社を清算(負債総額、126億円)し、
OEM元の関連会社「東日本沢内総合開発株式会社」へ製造販売を引き継ぎ、
那須工場と併設の那須ビール園は閉鎖となりました。
その後、2010年2月1日に、東日本沢内総合開発株式会社から株式会社銀河高原ビールへ社名変更。
2011年12月21日には株式交換により、株式会社銀河高原ビールは東日本ハウス株式会社の完全子会社となりました。
2014年11月には、併設ホテル「沢内銀河高原ホテル」が、「ホテル森の風 沢内銀河高原」へ名称変更しました。
2017年9月には、長野県軽井沢町の株式会社ヤッホーブルーイングが、
株式会社銀河高原ビールの親会社である株式会社日本ハウスホールディングスから、
株式会社銀河高原ビールの全株式を取得することとなり、
2017年10月31日付けで銀河高原ビールはヤッホーブルーイングの完全子会社となりました。
また、併設ホテル「ホテル森の風 沢内銀河高原」の施設は、株式会社銀河高原ビールへの譲渡が決まっていたことから、
銀河高原ビールと共にヤッホーブルーイングへ経営譲渡されることになりました。
ヤッホーブルーイングが当面はビール事業に集中する方針を打ち出したことから、
それまでホテルの運営を担当していた「株式会社ホテル東日本」が運営から撤退し、
「ホテル森の風 沢内銀河高原」は同日(2017年10月31日)を以って休館することになりました。
その後、2020年3月27日に沖縄県名護市のヘリオス酒造株式会社が、
銀河高原ビール沢内工場とホテル森の風 沢内銀河高原の施設を取得することを発表し、
2020年4月1日付けで銀河高原ビール関連の施設をヘリオス酒造へ譲渡することとなりました。
それに伴って、銀河高原ビールは、沢内工場での製造を終了することとなり、
2020年3月上旬を以って銀河高原ビールの自家醸造を終了しました。
また、沢内工場で製造した銀河高原ビールの販売(Webサイトでの販売)は、
同年4月20日を以って終了しました。
ヘリオス酒造は、同工場での酒造免許取得の準備に入るとともに、
休館中の併設ホテル「沢内銀河高原ホテル」の運営受託先企業の募集を開始し、営業再開を目指しています。
株式会社銀河高原ビールは、ヤッホーブルーイング傘下にて存続し、
「銀河高原ビール」のブランドも継続されることになりました。
銀河高原ビールの「小麦のビール」は、パッケージも一新し、
ヤッホーブルーイングの佐久醸造所にてOEM生産されています。
銀河高原ビールのこれまでの経緯は、以下の通りです。 | |
1996年 | 銀河高原ビール株式会社を設立 |
1996年4月 | 沢内銀河高原ホテルをオープン 銀河高原ビールを販売開始 |
1997年7月 | 飛騨高山工場、阿蘇白水工場を開設、それぞれ銀河高原ビアレストランを開業 |
1998年7月 | 那須工場を開設、那須ビール園を開業 |
2001年 | 飛騨高山工場、阿蘇白水工場ならびに併設レストランを閉鎖 |
2002年 | 営業不振から一旦会社を清算し、新生・銀河高原ビール株式会社へ営業を移管 |
2005年12月 | 東日本沢内総合開発株式会社へ営業を移管 那須工場と那須ビール園を閉鎖 |
2010年2月1日 | 東日本沢内総合開発株式会社から株式会社銀河高原ビールへ社名変更 |
2011年12月21日 | 東日本ハウス株式会社の完全子会社化 |
2014年11月 | 併設ホテル「沢内銀河高原ホテル」が「ホテル森の風 沢内銀河高原」へ名称変更 |
2017年10月31日 | 銀河高原ビールがヤッホーブルーイングの傘下に入る 併設ホテル「ホテル森の風 沢内銀河高原」が休館 |
2020年3月上旬 | 銀河高原ビール沢内工場がビールの製造を終了 |
2020年4月1日 | 沢内工場、ホテル森の風 沢内銀河高原の施設をヘリオス酒造へ譲渡 |
2020年4月20日 | 自家醸造ビールの販売を終了 |
ビアクルーズ管理人の一言:
2010年10月、酒販店で瓶入りのヴァイツェンを購入して、自宅にて銀河高原ビールを初めて飲みました。
2013年10月、東京駅構内にある「LE COLLIER MARUNOUCHI」で、缶入りのペールエール、アメリカンペールエール、
スタウトを購入して、自宅で飲みました。
2014年6月、同店で缶入りのピルスナーを購入して、自宅で飲みました。
2014年9月、同店で缶入りのアルトを購入して、自宅で飲みました。
2015年8月、岩手県北上市にある「北上観光物産館アクセス」で、缶入りの小麦のビール、夏のヴァイツェンを購入しました。