飛騨高山麦酒


ブルーパブ名: [パブなし]
ビールの種類: ピルセナー (ジャーマン ピルスナー)
ヴァイツェン (ヴァイツェン)
ペールエール (ペールエール)
ダークエール (ダークエール)
スタウト (スタウト)
カルミナ (ベルジャン ストロングエール)[期間限定]
レッドボック (ボック)[冬季限定]
ラトゥミナ (ヴァイツェンボック)[季節限定]
タダラトゥ (スペシャリティエール)[夏季限定]
醸造開始: 1996年8月
URL: https://www.hidatakayamabeer.co.jp/
Facebook: 飛騨高山麦酒

製造元: 有限会社農業法人 飛騨高山麦酒
電話番号: 0577-35-0365
0577-62-8555 (ビールの注文窓口)
住所: 岐阜県高山市松本町999
定休日: 土日祝休
営業時間: 9:00~17:00

飛騨高山麦酒(ひだたかやまびーる)は、 地ビール黎明期である1996年から岐阜県高山市で製造している古参のビールで、 その醸造所は北アルプスを一望できる高地にあります。高山市郊外にある飛騨牛を育てる農家が、 麦芽やホップのかすが良質な牛の飼料になることから新規事業としてはじめたビール造りです。

飛騨高山麦酒では、原材料にドイツ産、チェコ産の麦芽とアメリカ産、ドイツ産、イギリス産、チェコ産のホップを使用し、 北アルプス乗鞍山系から長い時間をかけて流れ来る飛騨の天然水を、 地下180メートルから汲み上げて仕込み水として使用して醸造しています。
開業当初は、ペールエールとダークエールの2種類の販売から開始しました。

ピルセナー

ヴァイツェン

ペールエール

ダークエール

スタウト

カルミナ

レッドボック


350ml缶入りの飛騨高山麦酒

有限会社農業法人 飛騨高山麦酒の代表取締役 安土 則久(あづちのりひさ)さんは、岐阜県高山市の出身で、 農業一筋、その道50年という飛騨牛農家の経営者です。 安土さんは、高山市内で生まれ育ち、中学卒業後は高校時代を山形で過ごしました。 山形で多感な時期を過ごした安土さんは、そこで多くの自然と触れ合うことで、農業や酪農に興味を持つようになります。 そして、北海道の酪農関係の大学へ進学。 卒業後は高山へ戻り、地元で安土畜産を創業します。1971年のことです。 当時は、ホルスタインの飼育から始め、徐々に牛の品種を変えて行き、 現在では250頭ほどの飛騨牛の飼育とリンゴ栽培を営んでいます。

安土さんがビール造りを始めよう考えた動機には、いくつかの背景がありました。 1つには、1991年4月の牛肉の輸入自由化でした。その結果、牛肉の値も下がり経営にも影響が出ていました。 そもそも牛肉は自分で値段を決められなかったこともあり、自分で値決めできる商品を造りたいと考えていました。 2つ目は、1994年4月の酒税の規制緩和です。 これが起爆剤となり日本にもクラフトビール(当時は、地ビールと呼ばれていましたが)の波が押し寄せました。 また3つ目として、麦芽粕やホップ粕が、良質な牛の飼料になるということもありました。 それに牛糞は最高の完熟堆肥としてリンゴの肥料となり、 将来的にはこの堆肥を使って麦芽やホップの栽培も手掛けながらビール造りを進めれば、 循環型農業に取り組んでいくことができると考えました。 それと、酪農が微生物管理であるように、ビールもまた微生物管理なので、自分たちの強みを活かせるとも思いました。 そんな様々なことを背景に検討した結果、新規事業としてビール醸造を開始することを決心し、 1995年11月10日に『有限会社農業法人 飛騨高山麦酒』を設立しました。

それから醸造所の開業に向けて、建屋の建設や醸造設備の導入を進めて行きました。 仕込み設備には、カナダのSPECIFIC MECHANICAL SYSTEMS LTD.社のプラントを導入。 1996年7月4日に、酒類等製造免許(ビール)を取得。 ビールの醸造技術については、スリランカ出身のKolonghapitiya Padmaさん(通称、パドマさん)を招聘し、 醸造指導やレシピの開発を担当してもらいました。 パドマさんは、ドイツのDoemens(ドゥーメンス)醸造学校で醸造技術を基礎から学び、 その後ブラウマイスター職に就いていた方で、 飛騨高山麦酒では現在もパドマさんと作成したレシピを応用して製造を続けています。 また、ビール名もパドマさんの影響を受けており、スリランカの公用語であるシンハラ語から命名していました。 シンハラ語でそれぞれ「カルミナ」は黒い宝石の意、「ラトゥミナ」は赤い宝石の意、「タダラトゥ」は赤銅色の意など。 そして同年7月に初仕込みに臨み、ペールエールとダークエールの2種類が完成すると、 遂に同年8月から販売を開始しました。

ブラウマイスター 高橋 有人(たかはしありひと)さんは、山形県山形市の出身で、 これまで20年間、飛騨高山麦酒でビール造りを続けてきたベテランの醸造家です。 高橋さんは、東京農業大学(2年課程)を卒業後、醸造関係の仕事に就きたいと思い、 かつて高山市内にあった銀河高原ビールの飛騨高山工場へ1997年に新卒入社します。 そこでは5年ほど勤務しましたが、2001年に飛騨高山工場を閉鎖することが決まり、 再就職先を探していたところ、段ボール業者の縁で飛騨高山麦酒でブルワーを探していることを知ります。 ちょうどその頃、飛騨高山麦酒では、醸造を担当していたパドマさんが、 子供の教育問題からスリランカへ帰国することとなり、醸造を継承するブルワーを探していました。 そこで、高橋さんは積極的に応募し、パドマさんの後継者として、2002年2月に飛騨高山麦酒へ入社しました。 それから高橋さんは、パドマさんからいろいろ醸造技術について学んでいましたが、 やがて、2003年にパドマさんがいよいよ帰国することとなり、 それからは高橋さんが飛騨高山麦酒のビール造りを牽引して行くことになります。


飛騨高山麦酒の旧工場



飛騨高山麦酒には、開業当初から1つの懸案事項がありました。 それは、工場が自動車専用道の建設予定地に建っていることでした。 実は道路建設は、工場建設以前から計画が持ち上がっていました。 1987年に閣議決定された第四次全国総合開発計画において、高規格幹線道路(いわゆる自動車専用道)の建設が決まり、 工場建設予定地も、道路建設予定ルート上に載っていました。 ただ、工場建設を決めた1995年当時は、まだ道路建設が進んではいなかったため、工場建設を予定通り進めて行きました。 その後、道路建設計画の全様が明らかになり、長野県松本市と福井県福井市を結ぶ中部縦貫自動車道の丹生川IC(仮称) ~高山IC区間の予定経路上に該当していました。ただその後も、2013年11月15日に同区間の一部が着工しただけで、 これまでのところ未だ全線開通時期に関しては未定のままになっています。

2017年頃になると、安土さんも今後のことを真剣に考えなければならない時期に差し掛かって来ていました。 道路建設予定ルート上の土地買収はほとんどが終わっており、飛騨高山麦酒が唯一残っている状態となっていました。 ここで、飛騨高山麦酒は1つの岐路を迎えており、これは単なる移転というだけでなく、 今後の飛騨高山麦酒存続の分かれ目となっていました。 と言うのも、これまで安土さんたちはビール事業から撤退するべきなのか、 継続させるべきなのかについて大変悩んで来ました。 安土さん自身が高齢化し、当時70歳を迎えていましたが、 経営を引き継いでくれる後継者の見通しがたっていませんでした。 醸造作業自体も高橋さんがほぼ一人で担っており、将来を託せる後継者はいませんでした。 求人は掛けているものの、なかなか飛騨の山奥まで転職して来てくれる人はいませんでした。 それでもブルワーを目指して何人かは応募がありましたが、 いずれも将来は自分のブルワリーを持ちたいという気持ちで醸造技術の習得が目的でやってくる人ばかりで、 後継者につながる人材は現れませんでした。

そして、安土さんは、検討を重ねた結果、高橋さんの後押しもあって、ビール事業を継続することを決意します。 こうして新工場は、旧工場の150mほど西側に建設することとなり、 旧工場の時と同様に新工場でも乗鞍水系の井戸水を仕込み水として使用するため、 新工場の敷地内へ新たに深さ180mの井戸を2本掘りました。 2020年1月には、旧工場にあった醸造設備を新工場へ移転。 引っ越し作業の期間中は、ビール製造を行うことができませんでしたので、それまでに造り貯めてきた製品を出荷していました。 元々、高山は豪雪地帯で、冬期はビール製造が困難なことから、初冬までにまとまった数を製造しておき、 3月頃の製造再開までは在庫でまかなう運用をしていました。 また、原材料の調達方法も見直して、移転前までは、まとめて買い取ってコンテナに備蓄していましたが、 時流から、移転後は卸し会社から必要な分だけ小ロットで調達する方法に変更しました。 こうして、新工場にて設備の調整を進めていき、 2020年8月3日には、新工場で初めて仕込んだ「ヴァイツェン」を出荷するまでに至りました。

飛騨高山麦酒の今後については、最も大きな問題として後継者問題が未だ解決されずに残っています。 経営者や従業員の高齢化に対する根本対策を、今もなお模索し続けているところです。

安土さんのご厚意で醸造設備を見せてもらいましたので、ご紹介します。


飛騨高山麦酒








飛騨高山麦酒のエントランス


仕込み室の仕込み設備  【1パッチ(1ロットの生産量)が1,600リットル】
左側が糖化釜(マッシュタン)兼、煮沸釜(ケトル)兼、ワールプール
右側がろ過槽(ロイター)㊤と、貯湯タンク(ホットリカー)㊦


仕込み設備の右側の2基は冷水タンク、 その右手奥が発酵室


発酵室には、2,300リットルの発酵&貯酒タンクが15基と、
4,600リットル(ダブルバッチ用)の発酵&貯酒タンクが2基、
2,300リットルの熟成タンク(BBT)が5基あり、
その内の1列目の2,300リットル発酵&貯酒タンク×5基


2列目の2,300リットル発酵&貯酒タンク×5基


3列目の2,300リットル発酵&貯酒タンク×5基


4列目の2,300リットルの熟成タンク(BBT)×5基


4,600リットル(ダブルバッチ用)の発酵&貯酒タンク×2基


缶の充填機


瓶の充填機





瓶のラベラー


プレハブ冷蔵庫


ケグの洗浄機


ブラウマイスター 高橋 有人さん


飛騨高山麦酒のこれまでの経緯は、以下の通りです。
1995年11月10日有限会社農業法人 飛騨高山麦酒を設立
1996年7月4日酒類等製造免許(ビール)を取得
1996年8月飛騨高山麦酒を販売開始
2020年1月醸造所を移転
2020年8月3日移転後最初に仕込んだ「ヴァイツェン」を出荷


ビアクルーズ管理人の一言:
1997年11月、岐阜県高山市内の酒販店で飛騨高山麦酒を購入して、自宅で飲みました。 その当時は、ダークエール、ペールエール、ヴァイツェン、スタウトの4種類が販売されていました。
2014年8月、岐阜県高山市にある飛騨高山麦酒の醸造所を訪れました。 その帰り道、高山市内の酒販店「地酒蔵 本店」で、ピルセナー、ヴァイツェン、ペールエール、ダークエール、スタウト、 カルミナを購入して、自宅で飲みました。
2022年10月、移転から初めて新工場にお邪魔しました。それまでのご苦労についてお話も伺うことができました。



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